くんくんくんくん くんくんくん
今夜も地球はまわってる
しんしんしんしん もんもんもん
柿木のは今夜も月の光を集めてる
いいコトがあった上でのわるいコトであり
わるいコトがあった上でのいいコトである
今すぐに当日の答えが顔を出すことはない。
なぜなら彼らは今はまだ土の中に眠っており。
雨が降る中根をはり続けているのだから
ほんとに欲しいものがあるのなら
喉から手が出るほどほしいものがあるならば
それはいとも簡単に手に入ることだろう
しかしそれを心底望んで歩き出した時だけに限るのだが
人はその足跡を努力や根性などと呼び違える世界も在る
東京が首都じゃなくて白川山でいい
白川山が首都でぜんぜんいいのではないのか?
しかしそーなった暁には、全ての秩序と価値観、常識は
まるで別世界の様に変わってしまい
今まで在った世界は世界とゆう名前すら失ってしまう。
れれれ、そんな日を迎えるためにも僕らは
毎日、詩んでいて、歌い続け、また祈り続けるのである。
その場合、芸術とは一つの祈りの形であり、
メッセージたるゆえんの詩でもある。
佃煮を食べて、それを食べる度に心の中でけしてゆく。
それをまた歌にして口から吐き出して、
人々の耳がそれらを食べつくして行く日々が
どれほど続くのか、どれほど続けてゆくべきなのか
問い直すコトは一つだけじゃないけれど
少なからずあるのは確かに確かだ。
未来あるゆえの過去であり
過去あるゆえの未来であり、
雨が降るたび、風が吹くたびに
その根は深くこの宇宙の大地に繋がってゆくものだ
何かが起これば何かが起こり
何かが起これば何かが起こる。
そしてそれは自然の摂理に従いながら
ただ単純に+の方角えと揺れ動き
引き寄せられ、そちらへと向かう足取りさえも
拒むことができなくなるものだ
この世はとっても楽しくて
おもろくて、深くて深くてとっても深くてだから
今日も興味深い感じがとてもするもんだ。
昨日があるゆえの今日であり
明日があるゆえの今日でもあるのかもしれない
ははは、魔法にかかった時間は止まるものだけれども
それ以外は全部、川みたいにながれる、
そしてその中に魚が泳ぐ。
やっぱり今があるゆえの今であり
この針を曲げても壊しても
普通に川の如く魚のように流れ泳ぐ。
焚き火をたいて、
星を見上げ
コーヒーを口に含み
心を回して
全てを呼び込み
またそれらを吐き出せば
今がホントニ何時かがはっきりと分かり
どこに何があるのかが明解となる。
消えたものは消えているけど
消えれば消えるほどここにあるもはないとゆうことも
今ここではっきりと解かる。
それは昨夜枕元でみた夢が
ここにもあるのと同じで、
物語に囲まれた暮らしを営む権利を
白子山に住む人々も東京都に住む人々も
まるで平等に保持していることは
あえてここで再度肯定する必要も理由もない
べんべんべん、
こんなに夜が老けてゆけば朝になるのかなんて
心配するかもしれないけれど
ぼくはただこの玉手箱を大事に大事に
磨いているだけで
いつこれを開けよかと
うぐるへけれけと
その時間を見計らっているだけである
今僕の胃にコーヒーがたどり着いた証として
このメッセージをみなさんに送ります!。
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