僕は理想を追求する。
社会のあり方
教育システムの方針
暮らしの構造スタイル
文化の育み
自身の芸術
この社会の行く末
あるべき世界の真の姿
自然との共存
なりたい自分となりたくない自分
人は理想を追求することによって
1ランクも2ランクも上の世界に住むことができる
それは俗に言う勝ち組、負け組とかそんな話じゃないんだよう
目を閉じ、心を開けばすぐそこにまで
あるべき姿の現れを感じることができる。
ぐどないと!
1/29/2009
八洲茶屋へようこそ!
1/28/2009
世界がもし100人の村だったら

とてもすばらしいコンセプトだと思う。
現在、ひたすら暴走を続ける市場原理主義に元づく資本主義型工業社会なんか
なくなっていいと思う。
だって世界をそもそも一つの経済社会の流れで丸く治めてしまうとゆうこと自体
不可能な話だと思うし、
その流れで地球が回り続けても環境破壊なんか止まるわけがない。
バビロンは人々の欲望を常に刺激し続け、消費を拡大させ、
化石燃料でも何でも地球の資源もとことん使って
供給を続け、また人の欲望を誘っては市場原理主義のマーケットを拡大させてゆく。
この悪循環無くして、いまの米国を中心とした、資本主義型社会は身がもたないのである。
それよりも世界中に100人の村をいたるところに作って、
それぞれが点と線として結ばれてゆき、光のネットワークたるものを
現らわにしてゆくことに僕はひたすらに価値を見出している。
村社会に置かれる人々の役割とゆうものも多種多様であって
林業、農業、医療、教育、芸術、祈祷師、、、
それぞれが各自の役目をその社会の中で振り分け、与えられた仕事を
まっとうしてゆくとゆう生きてゆくうえでの充実感とゆうものが得られるはずだ。
それは肥大化しきってしまったこの地球規模の工業経済社会の中では見受けられず、
若者から老人まで、自分の社会的ポジション、立場、役割とゆうものがとてもとても
薄れてしまっているため、社会の中での生き甲斐とゆうものがそこから得られない。
日本は元々、村社会とゆう文化がしっかりと根付いていたはずであるが、
現代となっては地域社会も文化もとても希薄化しているのが現状だ。
しかし今こそ、この世界金融危機の最中、村社会のなかのすばらしき文化や育みに
多大なる価値を見出してゆくべきだと私は思う。
不況とゆう状況は別に悪くない、、、地球規模の資本主義型社会の流れがゆるやかになり
それのサイズ縮小を意味しているのでむしろ全体的に見ると良き状況であると考える。
それゆえに今こそ、村型、地域型の光の社会ネットワークを築きあげ、
そこに新たなる、資本主義型工業社会に変わる自然と共存してゆく文化と社会システムを構築してゆかなければならない。そしてその社会と流れはこの地球にとっても必ず持続可能なものでなくてはならない。
1/06/2009
ルーツな暮らし
ルーツな暮らしの中には
ルーツな音が流れ
ルーツな風が吹く
ルーツな食事をとって
ルーツな祈りを終えるころには
ルーツな光が差し込むのである。
世界は巡り巡り
時代は流れ流れて
人はまた元の暮らしを始めるときがさしかかっている
資本主義型工業社会とは、この地球にとっては
必要のない一枚の皮のようなものであって
成長する過程の中でこの皮を脱ぎ捨てなくてはならない
この地球と人は今まさに脱皮の時期を迎えようとしているのである
不況、不況と叫ばれる中、この国、世界は今だに
資本主義の流れを取り戻そうと必死にこの不景気を抜け出そうとしているが
今ここにある流れは本来地球にとって正しい流れであり
この流れを変える必要など全くもってないのである
縮小し続ける商業マーケットはバビロンにとってはとても痛手である
物を買わなくなる時代がやってくる。
大量生産、大量消費の時代は終わろうとしている。
そして、今我々の社会は転機を迎え新たなる状況を迎えつつあるのである。
そしてこの状況を受け入れるがゆえにまた新たな文化を0から見直して育んでゆく必要がある。
教育制度、社会問題、法律、税金、福祉etc
より自然の流れに則した、新たなる、豊かなる、文化、土壌を作り直してゆく必要がある。
がゆえにこの金融危機問題はピンチではなく最大のチャンスであり、好機であることをふまえるべきである。
オゾン層は毎年薄く薄くなり、石油も枯渇間近、海を壊し、山を壊し、
有限な自然資源を糧にして膨らんでゆく資本主義型社会の欲望は留まることを知らない。
地球がいくらあってもこの社会システムは成り立つわけがないのである。
今こそここで目を閉じ心を開いて、この地球のあるべき姿をイメージするべきである
そしてそれに向かって日々変わってゆかなくてはならない。変えてゆかなくてはならない。
ルーツな音が流れ
ルーツな風が吹く
ルーツな食事をとって
ルーツな祈りを終えるころには
ルーツな光が差し込むのである。
世界は巡り巡り
時代は流れ流れて
人はまた元の暮らしを始めるときがさしかかっている
資本主義型工業社会とは、この地球にとっては
必要のない一枚の皮のようなものであって
成長する過程の中でこの皮を脱ぎ捨てなくてはならない
この地球と人は今まさに脱皮の時期を迎えようとしているのである
不況、不況と叫ばれる中、この国、世界は今だに
資本主義の流れを取り戻そうと必死にこの不景気を抜け出そうとしているが
今ここにある流れは本来地球にとって正しい流れであり
この流れを変える必要など全くもってないのである
縮小し続ける商業マーケットはバビロンにとってはとても痛手である
物を買わなくなる時代がやってくる。
大量生産、大量消費の時代は終わろうとしている。
そして、今我々の社会は転機を迎え新たなる状況を迎えつつあるのである。
そしてこの状況を受け入れるがゆえにまた新たな文化を0から見直して育んでゆく必要がある。
教育制度、社会問題、法律、税金、福祉etc
より自然の流れに則した、新たなる、豊かなる、文化、土壌を作り直してゆく必要がある。
がゆえにこの金融危機問題はピンチではなく最大のチャンスであり、好機であることをふまえるべきである。
オゾン層は毎年薄く薄くなり、石油も枯渇間近、海を壊し、山を壊し、
有限な自然資源を糧にして膨らんでゆく資本主義型社会の欲望は留まることを知らない。
地球がいくらあってもこの社会システムは成り立つわけがないのである。
今こそここで目を閉じ心を開いて、この地球のあるべき姿をイメージするべきである
そしてそれに向かって日々変わってゆかなくてはならない。変えてゆかなくてはならない。
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